音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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Sorrow and Smile / 高野寛 (1995 44.1/16)

その当時から今でも時折聴いている高野寛。渋谷系の文脈で捉えたことはあまりなかったのだけれども、今の自分のトレンドがそれなので、このタイミングでまた再び紐解いてみた次第。

ポップスとロックの美味しいところをチョイスしていた高野寛が、完全にポップスに振り切って制作したアルバム。振り返ってみると氏のセールスにおいては全盛期を過ぎた時期のリリースではあるけれども、ポップスとしての純度は最も高く仕上がられている作品。音楽としてのソフトな語り口と、DTM的な肌触りを感じさせる好盤。

渋谷系にはその後大きく広まるDTM的手法に至るヒントが多数織り込まれているように感じられる。サンプリング、ループ、そして効果的に導入される生音との組み合わせ。ゲストミュージシャンを適材適所に配置していることも、当時の渋谷系の流れに当てはめることが出来る要素ではないかと。また、ボーカリストとしての主張が高いとは決して言えないタイプであることも、氏をその時流における一つの形として捉えることが出来る理由になるのでは。

純度の高いポップスをコツコツと築き上げ、クレヴァーな音楽として装飾し提示すること。

自尊心が高く、ポップスの深掘りを無意識下においてでも行っているリスナーへと刺っていったこの手のポップスは、決してマスに訴えるものではなかっただろうが、確かに「あの頃そこで鳴っていたサウンド」として受け止められるだけの成果は上げていたのだろう。

(くしくも渋谷系の全盛期だったとみられる90年代半ば、J-POPにおいてビーイングや小室哲哉サウンドの全盛期でもあった。)

話を戻して。

今で語られるところの渋谷系の枠組みからすると、氏のメイキングはやや自省的な側面を感じさせるポップスであったことが、その本流に位置するわけではなく、やや距離を置いた所にプロットされる存在ではあるけれども、渋谷系のその後がPUPAなどに代表されるミュージシャンの集合、集約によって昇華されるのであれば、その中心に今でも存在している高野寛はやはり当時の渋谷系のその一端を担っていたと見てもあながち間違いではないだろう。

Sorrow and Smile