音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

当コンテンツではアフィリエイト広告を利用しています

Be My Last / 宇多田ヒカル (2005)

こりゃ、ラジオで流れていくるワンコーラスだけでは判断しちゃいけないわ。ブリッジからサビのリフレインに渡っていく下りで、完璧に宇多田の世界に持っていってる。

そこに至るまでの味付けの物足りなさを感じてしまうのは事実だけれども、ではやたらと醤油を加えればどうにかなるのかと言えば、もちろんそんなはずもないわけで。

この曲が、アルバムの一片に位置づけられていたとしたらどうだろう。やはりそこで、先行リリースによる時間的なアドバンテージがもたらす鳥肌(パブロフ)が発生するのは、想像に難くないというか。宇多田ヒカルの恐ろしさは、そこにあるんだよな。

もしそうなったとしたら、そのアルバムは『Deep River』よりもさらに、聴き手に内省的なものを強いるヘビーなアルバムになるんだろう。あの中に収録されていたとしても、決して違和感のないこの重さ。ミリオンに至ったとしたら、老若男女問わず、その100万人すべてが子宮に何かを抱えているような緊急事態だ。それこそ、大ヒットを言葉いじりに結びつけたがる面々が食い扶持につなげようと躍起になるくだらなさが展開されそうでかなり楽しみ。それこそが 「異星人」 宇多田ヒカルの手中に落ちるということで。

日本市場でのリスタートなこのタイミングでラジオ向けとは言い難い (=入口を自ら狭める自虐的行為な) 楽曲を持ってきたところに、宇多田ヒカルの脳天気さが感じられるのは、それが宇多田ヒカルだからこそなんだろう。で、その脳天気がこの重さだ。自らが病んでいることを、病んでいるボイスと病んでいる言動で飾るボーカリストの時代は、あっさりと終了。全てはフェイクにされてしまう、日常的な位相のズレがここに発生しているということで。

(ということで既聴&チアーに一票:http://www.bounce.com/article/article.php/2184/ALL/