このシリーズベスト盤の後半部分を聴く。徳様の「雪の華」が聴きたくなったのだよね。
改めて聴き直してみても、一本の芯を通して換骨奪胎を突き詰めたカヴァーであることに感心することしきり。試みへのブレが一切ないのだよね。
シンガーがカヴァーアルバムをリリースすることに後ろめたさがなくなった、その契機になっていると同時に、一方でここまでのトータル性を持ったカヴァーシリーズがその後出てこないことにも、今から振り返ると驚いてしまうほど。カヴァー物の隆盛を作り上げながらも、一人勝ちに極めてしまったシリーズなのだなと。
数を重ねているカヴァーシリーズは存在するけれども、企画を打ちながら数を重ねることを実行に移すとなると、徳永英明の二番煎じになってしまう恐ろしさがあるのかもしれず。その域を抜け出す、超えることが出来ないのだろうとも。だからこそ類似性を避けた企画になり、場合によっては企画倒れに陥ってしまいがちなのだろうね。
邦楽カヴァーはいかんせん元ネタがかぶりやすいので差別化が図りにくいのと、原曲のイメージからどれだけ遠く離れることが出来るか、もしくは寄り添うことが出来るかと言ったさじ加減の難易度も相当に高いと思うのですよ。そして何よりも歌い手のカラー、味をどこまで引き出すことができるか、それによって原曲のイメージを上書きできるか、もしくは引き出せるかと言った可能性の追求もまた難しかろうと。安易に手を出してはいけない企画なのですよね。
それらを全部ひっくるめて考えてみると、やはり徳永英明のこのシリーズにおける存在感とアコースティックかつドラマティックなアレンジとの共存は、絶妙なバランスの上に成り立ち、大きな成功を収めるべくして収めていると思えるわけです。