音楽が描き出す世界とは、次の瞬間には全てが移り変わる、ごくごく儚い芸術でもあると思うのだよね。常ならぬものなのです。たまたまそれを繰り返し楽しむことの出来る芸術なので、恒常的な存在であるかのようにも思えてしまうのだろうと。
そのようなことを考えながら。
以下、音楽とはあまりにもかけ離れている論争を読んで気持ち悪くなってしまったので、それを吐き出して浄化させるために記すのです。
ジャケット写真は賛否両論あるようなのだけれども、虹は水によって現れ空気によって大気と一体化して融解していく、全てに取り込まれていくのだと考えると、その一連の流れを一瞬に凝縮させる炎を用いることで、セクシャルマイノリティの声の大きな存在と、そうではないさらに小さな声の存在との落差を、端的かつ象徴的に描いているようにも感じ取れるのであります。
空に現れた禍々しいもの(中国では虹は不吉の前兆とされることもある)と捉えられるそれも、やがては全てに等しく広く取り込まれていくだろうとの希望を持ったジャケット、それをやや扇情的に過激に、小さな声の皮肉を以て表現するとこのような形になることもあるのだろうと。
はい、吐き出したので、もう二度とこのようなことには影響を受けずに、純粋に音楽だけを堪能させて頂きます。音楽表現は音楽表現の枠組みの中でのみ楽しみたいよね。