ブロムシュテットとゲヴァントハウス管による21世紀のブラームス録音。第1番に引き続いて第2番を。
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一聴して分かることがある。譜面のエディットや新しい解釈を織り交ぜると言ったそれらの斬新さをあえて取り込まず、譜面のなすがままに音の流れを任せていること。無茶なコントロールも全く感じさせない。不必要に音を盛り立てることもない。
一人の聴き手である自分は演奏に何の違和感も持たず、かと言って新機軸に驚かされることもなく、構えずに自然体で聴くことが出来る。
演奏がそうであると同時に聴き手にも負荷を与えない演奏。それがこの年齢に達した事による指揮法の答えなのだろうか。
そしてオーケストラ。突出しない、それでいて決して凡庸にはとどまらない。ドリームチームでは決してないと言う強み、一体感をいかんなく発揮している。
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このところ、クラシック音楽を聴く上での感動の基準が「自分にとって格好よく聞こえるか否か」と言ったシンプル…と言えば聞こえはよいが、ひどく浅く単純な物になっていたことを痛感させられた。もっと言葉にならない、深いレベルでの感動がクラシック音楽では味わえていたはず。
もちろん常にそれを求めていては肩が凝る。しかしながら、聴いてきた中に、背筋が伸びる演奏は確実に存在していたはず。それをそうと捉えることを忘れていた自分がいた。
感動をすることに対しては理屈を抜いてシンプルであってよい。しかしそれをもたらしてくれる存在に対して、敬意を持つことを忘れてはいなかっただろうか。
そのような考えに至るほど、この演奏は自分の感動の源について思わせるところの多いものだった。
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続けて第3番&第4番に行きます。
そうだ。これまでブラームスの序曲はオマケ程度に聴いてたのだけれども、それは全くもって間違った聴き方だったことも、ここで思い知らされたことを記しておきます。これらは常に第4楽章、クライマックスが描かれた作品であったと。