音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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シューマン:交響曲第1番&第3番 / フィリップ・ヘレヴェッヘ, アントワープ交響楽団 (2023 96/24)

ジャケ買いをしていた演奏。指揮者についても楽団についても予備知識ゼロ。名を聞いたことすらない。

終始華やかで軽快な第1番。心が晴れやかになってくるかのような明るさを持った演奏。重心こそ低くはないけれども、それがないことによって演奏の足枷から解放されている感満載。まるでピリオド系楽団を聴いているかのようなフットワークの軽さ。

こういったシューマンの演奏は大好物ですよ。特に第1番は冒頭のフレーズで、その演奏が好みか否かが明確に分かれますからね。そこからして自分の中の合格ラインを突破していました。

そして重過ぎず軽薄にもならず、絶妙なラインでのボディ感を保った第3番の演奏。こちらもつとめてブリリアントに。今は年末ですが、これは年始の真っさらな気持ちで接してみたくなるような演奏。どこか新鮮な風通しのよさを感じさせるのです。かぐわしく暖かな、澱みを知らない空気の揺らぎ。

総じて自分にとっては大当たり。文字通り小躍りしながら聴いておりました。演奏において時折「?」と思う瞬間はあったものの、それはいちゃもんのレベルかと。聴きながら耳が喜んでいる状態の流れを断ち切るような性質のものではなく。とにかく演奏全体としての雰囲気が相当に好みのものなので、それでよいかと。

そう言えば先日記した、高校時代の後輩から「ノイジー・マイノリティ」についての話を聴いた件は、クラシック音楽マニアにおけるそれに焦点を当てた話題だったのです。

自分の好きなように自分の好きな音楽、作品を楽しむ。外野の発言やコメントを気にする必要などこれっぽっちもない。共感者が見当たらなくても、自分が自分にOKを出したならばそれで十分。

そのような根底にあった梯子を自分で勝手に外しては、寄る辺なく彷徨っていたこともあり、この会話は大きな自信に、またそれを取り戻すことに繋がりました。自分が良いと思ったらそれで良い。

そのような当たり前の話を、この演奏を聴きながら再び自分の中で噛みしめたのであります。

シューマン: 交響曲 第1番、第3番