「ヴァイオリン協奏曲」
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、自分が語るまでもないあの有名な旋律を有した、ヴァイオリン協奏曲と名のつく作品の中ではトップクラスの知名度を持つだろう楽曲ではあるけれども、そのあまりものベタさ加減になのかなんなのか、どうもこれまでさほど食指が動くことがなかったような気がする次第。
それがなぜに聴く気になったのか、それもピリオド楽器でのメンデルスゾーンをだ。いや、分からないです。単に気まぐれであります。
そこでファウストによるこの演奏を聴いてみると、なんとなくメンデルスゾーンのイメージが変わって来るかのような衝撃。先に記したようにこの作品に対する私のイメージは「ベタ」なのです。もっと極端に記せば、リスナーフレンドリーな仰々しさ、と言えばいいでしょうか。あまりにも取っつきやすくて、逆にそこが鼻につく…ここまで書いておいてもいいかしら…印象だったのです。
ところが抑制の効いた、作品が元来持っている華やかさはそのままに、音の運び、構成がよく見て取れる、楽曲としての鮮やかさの本質が如実に現れているかのごとく演奏がここにありました。
それはファウストの演奏だけに言えることではなく、ピリオドオーケストラが持つ、曲のスケール感を狂わせないかのような演奏にも現れているのではないかと。これでもかこれでもかとブリリアントさを強調する必要はなく、そこにあるがままにして十分に華を持った作品なのだと。
このように作品へのイメージが変わったのであります。これは自分にとって心地よく楽しめる演奏ですね。
「フィンガルの洞窟」
仄暗さがよいですな。これまたフルオーケストラではないが故の、説得力の高さなのではないかと。
「交響曲第5番 宗教改革」
キビキビとした演奏の中に、メンデルスゾーン作品が持つ固有のキャッチーさが光る。クラシック音楽に対して「キャッチー」などと言う単語を使うか?と思う節は自分の中にもあれど、決してそうとは言い切れない作品も多数あるこの世界、使ってもよいのではないかと。
腕組みをして眉間にしわを寄せてはもっともらしくうなづきながら聴くだけが、クラシック音楽に接する作法では決してないのです。「うひょー、かっちょええ」と身体を揺らし、拳を突き上げて聴いても何も問題はないのです。音楽は感情・感覚に対してプリミティヴなものでもあるわけですから。閉鎖的なクラシック音楽マニアは、何かと言えばそれを否定する。それこそが閉鎖的だというのですよ(ってのは、まぁ、どうでもいい話で)。
閑話休題。
私はこれを楽しく聴きましたよ。メンデルスゾーンとはかくも分かりやすいものだったのかと。これは、近いうちにパーヴォ・ヤルヴィの全集もしっかりと聴いてあげないとね。フルオケでの現代のメンデルスゾーン演奏とはどのようなものであるか、興味深いものがあります。
