音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

醒めない / スピッツ (2016 FLAC)

1.
スピッツはスピッツにしか出来ない音を奏でている。

それが本作『醒めない』を聴き込むにつれ、深く刻まれて行く印象だ。それまで自分にとってのスピッツは草野マサムネwithその他3人と言った存在であって、ロックバンドとして捉えることがなかなか出来なかった。この希有な声を持つボーカリストの存在のために、音楽を構築する存在としての3人のメンバーにまで耳が行かなかったと言う、一つ事前に謝らなければならない自分とスピッツとの立ち位置がある。

ところがどうだろう。本作を聴くことによって、まごうことなきロックバンドとしてのスピッツが自分の中で急浮上してきたのだ。音の一つ一つがこのメンバーでしかあり得ない、日本ではもう唯一無二言っていいだろう、鉄壁なロックとして構築されている。

それは草野マサムネが描くソングライティングが全てではなく、この演奏ありきでメロディがより強靱なものとなって聴き手に伝えられていることの証左でもある。いや、メロディが強靱であることはこれまでで十分に分かっていたこと。自分が今になってようやく気が付いたのは演奏が強靱なのだ、と言う当たり前の事実。

強く伝える楽曲はより強く、たおやかに届ける楽曲はたおやかに、ユーモアを持った楽曲にはユーモアを。そのような当たり前のことを当たり前に出来るバンドがスピッツであると。

バンドは運命共同体と良く言われるが、本作で聴けるスピッツは運命共同体のそれと言うよりは、各々の演奏によって構成されている非常に滑らかな表面を持った球体であるかのように、完全な形を持って存在している。

それはメンバーが一丸となって草野マサムネの楽曲に挑む、音楽への博愛と表現することも可能だろう。気が付けばスピッツももう完全にベテランの域に入り込んだ。もう彼らにしか出来ない音楽を作る域に到達した。もしかするとその領域に至ったことが、自分の耳に初めて「スピッツはバンドである」と思わせるきっかけになったのかもしれない。

2.
前述のように音楽への博愛が本作の一つのテーマでもあるようにも感じ取られた。それはこれまでのスピッツが持っていた、指の一突きで折れてしまいそうな枯れ草の持つ繊細さであったり、一見優しさであふれているように見せ、実は鋭い棘を持つと言った、聴き手である自分にとって、迂闊には触れてはならない、ある意味アンタッチャブルな要素とは相反するものである。

本作は実に美しくトリートメントされたロックであると断言すると、スピッツを愛するファンからすると「何を今さら」と一笑に付されるだろうか。それほどまでに、この作品は「均されたロック」を奏でているアルバムであると捉えている自分がいる。それはなまくらなロックと言う意味ではなく、ベテランの域であるからこそ可能となる、雑味を一切持たない軟水で磨き上げられたロックであると言う意味である。

聴いていて実に耳に優しい。それはメンバーの楽曲や音に対する愛情がとめどなくあふれ出ており、それが耳から心へとストンと落ちていく感覚を素直に受け取ることが出来るからに違いない。

ロックを勢いやノイジーな物として奏でる、そして捉えることは簡単だ。しかし本作でのスピッツが奏でているロックは、優しさと慈愛、そして少しの哀しみである。おおよそ、特にマスに受け入れられているロックアーティストに同類を見つけ出すことは難しい。愛情だけのラブソング、攻撃だけのロックチューン、社会に銃を突きつけようと躍起になる若さ。そういった「容易なロック」はここにはない。ここにあるのは収録曲の中でユニバースと歌われているように、感情の森羅万象構成体である人という生き物を包み込む博愛のロックである。

心が感情で満たされるなどと言う経験はそう出来るものではない。それでも『醒めない』と言うタイトルに込められた意味を解読するのであれば、夢という「全て」に満たされている現象の中に、聴き手が緩く封じ込められている状態を表しているとも言える。感情が何物にも束縛されることのなく自由に行き交ううつつでもある夢の中で、聴き手である自分は、ただ曲が揺さぶる感情の海に浮かんでいるだけでよい。それが許される作品。これこそが本作を聴き解く上での一つの解答ではないだろうか。