音楽を流しながら何気はなしにNASに格納されている音楽ファイルをiPad mini上からブラウズしていたのだけれども、格納するだけしておいて存在を忘れている作品の多いこと多いこと。
NASに格納している段階で、自分にとっては一軍選手の作品ばかりだというのに、それすらも忘れ去っていることに、相変わらずな自分であると苦笑することしきり。
どれだけストレージの空き容量が減っていこうと、どれだけ作品を聴き重ねていこうと、片っ端から忘れていかないと脳の容量が先にパンクするということか。いや、それは体のよい言い訳でしかないな。
聴ける量よりも入手する量の方がまだまだ勝っている現状、一体いつまでのこのバカなレースを続けて行くのだと自問自答をしないわけではないけれども、パンがなければ音楽を聴けばよいじゃない、と言う人間が私なので、もうどうしようもない。つける薬もない。
音楽を聴くプロフェッショナルならまだしも、単なる下手の横好きがこのような愚行に出ている始末を、一体どのようにつけてやればよいのだとね。バカは死んでも治らないとよく言うが、私が今死んだら、このバカの遺物は誰がもらってくれるのだろうかね。もらい手などいないかもしれないな。
もっとたちが悪いことに、この手の内容の文章は数年に一度書いている。自分にとっての自省サイクル。ちっとも省みる気もないくせに書いてみるサイクル。