音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro / スピッツ (2024 44.1/16)

なんと言う剥きだしのままのスピッツなのだろうか。

それがこの作品を通して聴き終えた後の印象だった。ライヴバンドとしてのスピッツ、その演奏のクオリティの高さは噂には聞いていた。映像の為に記録されたこの音源を聴くと、それは間違いのない事実であり、また、それだけでは言葉が足りない要素が多分にあるのだと察することが出来た。

レコーディングにおいては、その手に取りやすい音作りが特徴的だと常々考えているスピッツ。「商業ロック」とは異なるベクトルでの、考え抜かれてトリートメントされたプロダクションが、送り出される作品の高いレベル感を保証していることは今さら語るまでもない。

それでも時折聴き手に襲いかからんとするかのような、牙の剥きだし方がサウンドのそこかしこに見受けられていたのは事実。何よりも草野マサムネのボーカルにおいて、そのザラついた質感が見せる、ステレオタイプな「優しいスピッツ」からは大きく乖離した爪を忍ばせていることに気がつく人は案外と少ない。

そしてユニバース。大宇宙に意識を浸透させているかのごとく歌詞に織り込まれた世界観の壮大さも、これまたスピッツの名が広く知れ渡っているほどには認知されていないように思われるのだがいかがだろうか。

この作品が演奏された建物の持つ独特のリバーヴ感はどこかプラネタリウムを彷彿させる宇宙への憧憬と繋がりを持ち、演奏が魅了する各楽器の彫りの鋭さとリアルな肌触りはスピッツの筋肉とナーヴが作る独自のシルエット思い浮かべさせる。

冒頭に記した「剥きだし」とは攻撃性の意ではない。在り来たりのそれなど、このバンドは持ち合わせてはいない。あるのはこことは次元が少し異なる、どこかねじれの位置に座する宇宙を俯瞰する音楽の心身なのだ。

先に述べたナーヴを撫でると、どのような音を繰り出すのだろうか、どのような音が届くのだろうか。彼らのそれと私たちのそれとを繋ぐ音とは、かくも密に織り込まれた麻の肌触りを持ち、剥がされたばかりの熱が宿る獣皮だったのだ。

むせかえるそれを手渡され身にまとうことへの背徳と官能が一緒くたとなり、私たちはこのバンドが作り出す音に感情をひどく揺さぶられる。愛撫は逆撫でされることとは正反対であるが、肌から神経、そして脳から感覚の宇宙へと飛び立っていく、鋭くなった感性を揺さぶられることとは同義であろう。

バンドも私たちも、その感性の神経を剥きだしにしてこの音を研ぎ澄ますことが出来る。送り手と受け手とを直接結びつける交歓がここにはあるのだと、この貴重な録音が語っている。

それは没頭のようなもの。剥かれた音に没する。サウンドが作り出す愉悦に身を投じる、その受け皿を飄々とした素振りで作り出している器の大きさに改めて驚かされることしきりなのである。

公演中に我に返ることを許さない、心を拘束されるライヴの質感を強く持ったこの音源から足を洗えば、そこに残っているのは強い余韻と高揚感。作品が残された理由は、つまりはそう言うことなのだろう。

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