音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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" title="L'EPILOGUE " class="asin">L'EPILOGUE / 氷室京介 (2016 FLAC)

西野カナのあの突然の長文は、昨夜のこと、メッセンジャーで酔っ払って「西野カナを論じる」という話の流れになってしまい、その勢いでCDをレンタルしてきたのです。で、一つ文章を書けという話になっていたので「これを一日中放置していたら、絶対に約束を反故にしてしまう」と思ったので、寝起きの頭からスタートして書き殴ったという次第なのであります。おかげさまで、午前中は軽い頭痛が止まりませんでしたとも。

で、今度は氷室京介。いや、これは論じる必要はなく、ひょんなことから聴くことになったのだけれども…いやぁ、僕がヒムロックを敬遠していた理由がなーんとなく分かったような気がする。聴いていて辛いんだもの。布袋寅泰は平気で聴ける僕だけれども、ヒムロックはどうも紋切り型に過ぎて、どれを聴いてもヒムロックという、ある種のアクの強さがあるのではないかという結論に至ったのだよね。そして楽曲のバリエーションの狭さ。比較的似たような曲が集まるか、もしくは、突出した何かがメロディの中に存在しない楽曲が多いと言う、ある種のヒムロックならではの特徴が見出せたのであります。

この人は…何というか長渕剛と同系列の臭いを感じてしまうのだよね。存在がもう神格化されていて、その中で楽曲を作っていくと言ったスタイルなのではないかと。その枠からはみ出すことが許されない、もしくははみ出せないというジレンマがあるのではないかとまで穿った見方をしてしまうくらい。

ヒムロックという存在は、どうしても布袋寅泰との対比で自分は見てしまうのだけれども、ボーカルだけで勝負をせざるを得なかったヒムロックと、ボーカルはともかくもギターという強い武器があり、世界に殴り込みをかけようと躍起になっている布袋寅泰とのギャップが大きく開いてしまったことも、逆にヒムロックをこぢんまりとしたものに見せてしまう結果になったのではないかと。

さらに個人的に語るのであれば、布袋寅泰のボーカルのアクの方が、実はヒムロックよりもよりロック魂のようなものを感じさせるのではないかと。ある種の暴力的な側面があり、そこが魅力的に映るのが布袋寅泰なのではないかとも思い始めた次第。

まぁ、取りあえずはいい勉強になりました。逆説的になぜ自分は布袋寅泰は聴けるのか?と言う理由が分かったので。

あ、このアルバム3枚組なのですが、Disc3はライブ盤なので勘弁してつかぁさい。ちょっとそこまで聴く勇気も気力も体力も今は、ない。