音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

シベリウス:交響曲第2番 / ベルグルンド, ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 (1986/2017 CD-DA)

シベリウスとブルックナーには何か共通したようなものがあるように感じられると言ったら、クラシックマニアの方に思いきりぶん殴られるだろうか。

楽曲の持つ懐の広さ、それは聴き手に持たせる想像自由度の高さとも言えるものであり、どの角度から斬り込んで解釈するかによって、いかようにも曲の姿が変わってくる点において共通しているように思えるのだ。

「解釈」としゃっちょこばらなくても、そこにある音から何を描き直すかは聴き手に全て委ねられるとでも言えばいいのかもしれない。

そして久しぶりにベルグルンドとヘルシンキ・フィルとの組み合わせで聴くシベリウス。

自分の中ではシベリウスの基準点になっている音源ではあるけれども、改めて聴き直してみると、自由に滔々と歌い上げる様が実に美しい。決してスマートにあか抜けた演奏ではないけれども(泥臭いという訳でももちろんない)、北欧の音でシベリウスを演奏すること、その意味においての一つの到達点なのではないだろうかなどと考えてしまう。悪い意味での重厚さに陥る手前のその塗りの厚さが、何かの共同生命体が組み上げる構築物のように感じられてならない。

北欧の自然とはどのようなものであるか、音で表現するシベリウス。その芸術性を描く意味では、やはりこの音源は自分の基準点たる音源であると思うのだ。