音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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シューベルト:交響曲第3番 / ブロムシュテット, シュターツカペレ・ドレスデン (1978/2020 SACD)

80分の超弩弓クラシック音楽の後には、20分クラスの軽やかなものを。

室内楽団ではなく、フルオケでのシューベルトが聴きたくなったのでね。この軽快さと滑らかな響きが、フルボディなオーケストラから作られていることが、またそこはかとないしたたかさのようなものまで勝手に感じてみたり。

あ。そこだ。

「勝手に感じる」ことが、自分にとってクラシック音楽を聴く上では肝要なことであって。

歴史的背景や音楽的背景、作曲家の運命。エトセトラ、エトセトラ。そのようなものは二の次でいいのですよ。聴き手である自分の勝手な解釈と、リスニングに対する自由度の高さが、クラシック音楽の全てではないかと。

その点において、J-POPとクラシックには何の差も敷居もないのだよね。聴いた物に対して勝手に想像を膨らませること。それが自分と音楽との関係性であるのだから。

もっとシンプルに言えば「しがらみがない」と言うことなのだろうと。

様々な外的ノイズ、知識のような物と言い換えてもいい、にがんじがらめになって音楽を聴くことは苦痛以外の何物でもないのですよ。

自分だけが持っている音楽への感度のような物を絶対なる物として聴けば、音楽は飛翔するのです。心の中で躍動しなければ、それは音楽ではないわけで。

音楽至上主義的な自分である以上、音楽を受け入れる器もそれなりには育っているのです。そこは自負してもいい。

問題は、その器があまりにもザルで、貪欲すぎることだな。

そんなこんなで。