家でクラシック音楽を聴く際には、分析的、解析的に聴こうとする頭が働くらしい。もしくは創作的か。
相対的に山荘では、その音楽を音楽としてのみ捉えているように感じられる。
それが先述の家での緊張感と、山荘でのリラックス感との違いなのだろうね。
もちろん家のリスニングが苦しいと言っているわけではありませんので。
そんなこんなで、ベルグルンドさん最後のシベリウス録音から第7番を。音を音として捉えると「うわ、難しい曲だな、これ」となるのです。ある意味において表層的に音楽を聴いているのかもしれません。
それはそれでいいことなのよ。