音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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strobo / Vaundy (2020 44.1/16)

非常に遅まきながら聴いた。いたく感心させられた。

誰にとは言わないけれども、追いつこうとしたら別のベクトルに突き進んで追い越してしまった感がある。年齢を飛び越えた成熟と、その年齢にふさわしい青さとが同居した居心地の悪さ。アンバランスな立体の頂点にすっくと立っている姿が目に浮かぶよう。それは同年代のリスナーからすると、実に理想的な、孤高のミュージシャンの姿に映ることだろう。

楽曲の作りからして、これが2020年代のメインストームなJ-POPの姿なのだと実感させられる。だがここまで構造的に作り込まれてしまうと、その存在の後には二番煎じも現れないどころかぺんぺん草も生えなくなる。孤高の才はその後に生まれる者を、武器も持たずに叩き潰すこともある。この1枚の作品が現れただけで相当な数のミュージシャン志願が打ちのめされただろう。

いや、待てよ、そうか。

先達であっただろうモンスターJ-POPメイカーが枯らしてしまったぺんぺん草の道に、Vaundyは自ら種を蒔き、草を育て、花をつけ実を成し収穫することに成功したのか。生半可な力では太刀打ちできない世界を目の前にして、自身の方法論をこの年齢で確立したからこそ、このサウンドが存在するのか。

間口の広いコンサバなサウンドであるように見えて、その内側には数多くの袋小路を持った迷路がある。聴き手を誘い、そこに閉じ込めて離さなくするトラップ、ひだが数多く仕掛けられており、その魔力の理由を解明できないうちに深みへとはめられてしまうのだろう。対象を広く保っているだけに、なんと罪作りな音であることか。

J-POPの土俵で勝負するミュージシャンの現役期間がどんどんと長くなる一方で、新しい芽は次々に現れて大輪の花を咲かさせていく。その花は一発の花火で終わることもあり、また、時代を牽引して行く存在となることもある。2020年にリリースされたVaundyのこのサウンドからして、圧倒的後者であることは間違いなく、多くの同世代リスナーの心をつかんで離さない存在になっていることもまた、当然のことなのだろうと後付け的に考えるに至った次第。

【追記】
多くのVaundyリスナーがそうしているであろうかのように、あえて一聴目からイヤホンで聴いた。そのような聴き方への親和性が高く保たれていると納得。耳から脳へと非常に抜けのよいサウンドメイキングが施されている。それもまたトラップの一端か。

strobo