ショスタコーヴィチの魅力は静寂と爆発の強烈なコントラストの中に見出せるものなのだな、と思いながらこれを聴きつつ洗濯物をたたんでいました。
まぁ、洗濯物はともかくとして。
今の自分は、ワイラースタインの演奏についてどうこうで述べる、述べられるのではなく、ショスタコーヴィチをどのように捉えるかなのです。その静寂ばかりに気を取られると、どうしても退屈の極みであるかのように感じられてしまうのです。
静寂の中に「来るぞ来るぞ」と次の爆発を期待する、夏の早朝に日中の暑さを予感する気分になるあれ、とでも言いましょうか。
ショスタコーヴィチの協奏曲においては、そのようにして自分の中での当座の落とし前がついたのですが、交響曲はどうにもまだまだですね。先日も第5番を聞きながら豪快に寝落ちしておりましたゆえ。