音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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シベリウス:交響曲第3番&第5番 / サントゥ=マティアス・ロウヴァリ, エーテボリ交響楽団 (2022 96/24)

振り返ってみるとこれまであまり再生回数を重ねてこなかったシベリウスの3番。初めて名を知るこの指揮者の演奏で聴いたところ、実に色鮮やかな音の風景が目の前に浮かび上がる作品であったことに気付かされた。

それは指揮者が持つ力量によって作り上げられたものなのか、もしくは作品が元来持っていたエナジーによるものなのかは、まだ今の自分では理解が追いついていない。

「シベリウスとはこんなに取っつきやすいものだったか」と認識を新たにさせられたという意味においてインパクトの大きな演奏。かと言って何か奇天烈なギミックを織り込んでいるのとは異なる。オケと指揮者、双方の基礎体力が万全に整えられた上で、音を編み上げ織り上げている印象を強く受ける。

録音技術的に言うところのコンプを演奏の全体に施しているかのような力強さを持ち、同時にその対極にある繊細さをしなやかさに置換していると思わせるほどの解釈の豊かさと大胆さが、この演奏を導き出しているのではないかと思わせるほど。

5番もまた同様の印象。こちらもやはり自分がこれまで持っていた楽曲への印象を塗り替えられるような衝撃があった。

これまで聴いてきた「薄氷をわたるような」5番とは大きく異なる説得力の強さを持ちながら、それでもこれは5番であると明らかである音の運び。奏でられている音が譜面に記されている静寂に負けていない、とでも言えばいいだろうか。

ややすると音に光を当てすぎてしまったか、と思わせる箇所もあるのだけれども、それが過剰な演出や自己主張によるものなどではないと、演奏、音としての全体像が明確に語っている。自分にとっては新解釈とも受け取れるシベリウスがこの中には込められているようだ。

シベリウス: 交響曲第3番、第5番