JUJUのボーカルは打ち込みサウンドとの相性が少々悪いように思うのだけれども。ましてやそれと同様に打ち込みとの相性の悪いこの時期の昭和歌謡との組み合わせになると、ことさら心許なさが増すように思えるのだよね。
一方で昭和歌謡的アレンジのゴージャスさを排して、シンプルに組み立てられたトラックではしっかりと勝負で来ているあたり、やはり「生き残っている」シンガーである理由が存在するのだとも実感。
この人のボーカルを飾り立てるトラックの組み立て方は、なかなかに難しいものがあると改めて。
でもなぁ、このシリーズを聴いて感じることなのだけれども、「スナック」と言うほどにお水っぽさを覚えないのは少々もったいないかと。選曲はその辺のど真ん中を撃ち抜いているのだけれどもね。
声質がどうしても洗練されてしまうのは、この時代、現代のシンガーとしては致し方ないことなのかしらん。それとも単に私が、歌謡曲における昭和的場末感を耳と肌で感じながら育ってきてしまったからなのかしら。
「3分間のドラマ」にストーリーと表情を乗せるには、技巧はもとより、声質が命な部分はありますから。