音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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今日は手持ちのPop/Rock/Jazz系のSACDを飽きるまで聴いていくよ

タイトル通りの企画です。企画ってほどでもないけど。

せっかくの月初三連休だというのに、本日、二日目の昼間から明日の昼にかけて、冷たい雨が降るというのだもの。室内に閉じこもって自分だけが楽しくなっちゃう企画をするよ。

クラシック音楽のSACDに関しては、もうあれこれ書き留めているので、たまにはそれ以外の「そもそもSACDにする意味あるのかい?」と問われそうなジャンルのディスクを聴いていきますよ。

ランダムに再生する。順次更新する。更新に飽きたら止める。止める時には「本日はこれにて終了」と宣言する。宣言するまでは「こいつ、今も何か聴いているんだな」と思ってくだされ。

「中古市場で見かける度」は、ここしばらくウォッチしていた私の主観にて、Web市場で見かける度合いを記していきます。

ちなみに、今はこんなシステム構成でSACDを鑑賞してます。

現オーディオ構成

SACDプレーヤー:marantz SACD 30n
アンプ:Wiim Amp Ultra
スピーカー:Focal Area 926

OFF THE WALL / Michael Jackson(1979/2024 Mobile Fidelity)

先のアーティクルで『BAD』のデジタル録音について書いたけど、このアルバムの完全アナログの世界ももちろんよいのだよな。パキッとした分離を望むのではなく、丁寧な質感とでも言うべき音の作り込みの世界を満喫できるSACDだと思っております。

このSACD盤がリリースされた時には「やたらハイ上がりのマスタリングだな」と思ったりもしたのですが、今のシステムで、しっかりと腰を据えて聴ける環境になると、なぜそんな印象を持ったのかがさっぱり分からない、ベルベットライクなMichael Jackson流ポップスの演出の記録を、しっかりと今の時代に伝えるSACDになっていると感じます。

Michael JacksonのMobile Fidelity盤SACDは、SACDというメディアが好きで、かつ上質なポップスを満喫したいなどというニッチなマニアには必携ですよね。改めてそう実感させられます。

アルバムの内容?私なんかが語るなんて恐れ多い。

中古市場で見かける度:そこそこ見かけたけど映画公開以降はやや少ないかも

OFF THE WALL / Michael Jackson

gaining through losing / 平井堅(2001 DFGZ-9002 DefSTAR)

2001年リリース。人気絶頂期にリリースされた平井堅のシングルレイヤーSACD盤。この音源は20bitのデジタルレコーディングだったと、どこかで読んだ記憶があるのだけれども、真実なら然もありなん。ガセネタでもSACDで鑑賞する価値のある1枚。

この時期、日本で大流行したR&B系サウンドに多く見られる、ボトムからハイまでまんべんなく楽器が散りばめられた配置の出音が楽しめる。かといってギチギチな録音なのではなく、楽器の数が基本的に少な目なので、音の一つ一つの配置が明瞭に再生される好盤だと思っています。

低音の圧や、高域の金物系、重ねられるシンセ、そして何よりも平井堅のボーカルの艶やかさが魅力的な録音ではありましたが、それがSACDとしてDSDマスタリングされることで、より「濡れた」サウンドとして耳に実用的な作品として仕上がっていると思うのですよね。

このSACD盤を再生させるのには、なかなか手こずるんじゃないかな。J-POPにしては再生難易度の高いSACDではないかと。もちろん音楽的な楽しさにもあふれている1枚だと思っています。平井堅の作品は基本的にJ-POPにおける良心ですよね。

中古市場で見かける度:わりと珍しい

gaining through losing / 平井堅

MOONDANCE / Van Morrison(1970/2025 Analogue Productions)

今やいい具合に味を出して枯れているヴァンおじさんの1970年作品。この時代のポップスからジャズ、ソウルの流れを汲んで、コンパクトな一枚の作品に昇華させているグッドボーカルアルバム。いや、グッドどころじゃないっすね、エクセレント。

でも、この時ヴァンおじさん、一体何歳なんだろうと思わせるほどの、早期老成加減あふれる作品でもあるかと。

とにかくむせかえるようなアナログの薫り。アナログ臭が飽和してます。その飽和状態をしっかりとSACDというフォーマットにパッケージさせていると、とにかく感心することしきりですよ。

この時代のポップスには、SACD化されている作品が多く存在しているという印象を抱いています。それはおそらく、レコーディング技術がある程度高まってきた頃のアナログ録音のクオリティをパッケージするにあたって、SACDというDSDマスタリングを伴うメディアとの相性のよさが現れているのではないかと。これがPCMのハイレゾになると、どうしてもデジタルっぽさが音楽の表現に上乗せされてしまうことがあって。

うへぇ。このアルバムがリリースされた当時、Van Morrisonは24歳だったそうですよ。軽くまいっちゃうね。

中古市場で見かける度:まだ新品が存在する

MOONDANCE / Van Morrison

A LONG VACATION / 大滝詠一(1981/2021 SRGL1000 NIAGARA)

J-POP史上において、これをSACDにしなきゃ何をSACDにするんだ?とまで思わせてしまうような問答無用の一枚、だよね?

大滝詠一の偏執的なまでのアレンジの細やかさ、録音そのものまでに責任を持つプロダクション。そして40年以上の時を経ても、常に新鮮さを与えてくれるポップスとしての耐用年数の長さと音の明るさ。ポップスがポップスとしてあることを誇りに思うべき作品ではありはしないかと。もしくは襟を正す作品であるとも。

で、ここまでの流れでこのアルバムを再生し始めたのには理由があります。先のVan Morrisonにて「デジタルっぽさ」と書いてしまったからです。

私の旧来の友人に大の大滝詠一マニアがいまして、彼がこの40周年盤CDエディションを我が家に持ち込んで聴いた際に「なんかデジタルっぽいと言うのかな?そんな感じがする」とコメントしたことがあったのです。

それは30周年盤と比較しての発言だったのですが、オーディオに造詣があるわけでは決してないその友人から、そのようなコメントが出るあたりで、これは相当な大事件ではないかと思ったんですよね。

デジタルリマスタによって、作品、技術において一級品であるアナログ録音のそれにデジタル臭さが乗ってしまうと言うのであれば、それは一体誰のためになるマスタリングなのだろうか?と。

果たしてその彼が、現状の自システムでこのSACD盤を聴いたら、どのようなインプレッションを述べてくれるのだろうかと、実に興味があるのですよね。やはりデジタル臭いと思うのか、これならば気にならないと言うのだろうか、それとももっと高く評価してくれるのか。

普段ならば自分の耳だけを信じて何かを書きがちな私ではありますが、大滝詠一のこの作品に関しては、どうしてもここが小骨として喉に引っ掛かってしまうのです。

中古市場で見かける度:比較的よく見かける

A LONG VACATION / 大滝詠一

THE DARK SIDE OF THE MOON / PINK FLOYD(1973/2003 EMI)

SACD化されているロックミュージックの中では、SACDファンによる所有率がやたらと高そうな気がしている、SACD的超有名盤。いや、プログロック作品としてもあまりにも有名すぎる作品ではありますね。

その昔、この2003年版のSACDを購入して聴いていた当時は、ここに込められている実力を発揮させられずにいたのです。音の定位的ギミックは分かるような気はしつつも、世間が騒然とするほどのものでもないな、とそう思い込んでいたのです。

ところが現システムに変わり、SACDのサウンドをある意味スッキリと聴けるようになった今、この盤面に凝縮され、ミッシリと詰め込まれたサウンド、ギミック、アレンジの数々が目の前に次々と現れて、そりゃもう、一大音楽絵巻のように目の前に広がっていくのです。最初から最後までとにかく気が抜けない。音楽としてもヘヴィ、サウンドスケープとしてもヘヴィ。

この盤を聴いてもSACDが引き出せる音の凄みに何も感じられないのならば、それはオーディオ的適性検査に引っ掛からなかったのだなぁ、と思うより他にないですかね。

私はどんな時に自らのオーディオ的適性を実感するかって、このアルバムを聴いて気持ち悪くなる時ですよ。音は回るし、音楽はイカしてるし、世界観はイカれてるし、音像はあまりにも細かくプロットされまくってるし、耳に対して救いようがないじゃないですか、休む間もなくて。音楽を聴くための三半規管だっておかしくなるって話で。そりゃ気持ち悪くもなりますよ。

でも、やっぱり聴いていてクセになる作品ではあるのですよね。

中古市場で見かける度:見かけないことがない

THE DARK SIDE OF THE MOON / PINK FLOYD

CAROL -A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991- / TM NETWORK(1988/2024 Stereo Sound)

TM NETWORKが80年代に構築した世間評は結構不遇なものだと思っている。今の人たちがどのように捉えているかは分からないけどね。

デジタルの権化のように思われているんじゃないかな…と思い続けて幾星霜。その印象は間違いだとは思わないけれども、音楽を取りまく潮流やテクノロジーに対して異様までに敏感だった小室哲哉という人物を擁したユニットだった、と今ならそう説明できる気がするんだけど。

そんなTM NETWORKの本作は、デビュー以来とにかくデジタルに突っ走ってきたユニットが、生音やアナログに目を向けて作成したアルバムなのだよね。もちろんシンセ的デジタルサウンドは存在するのだけれども、それすらもアナログのフォーマットに一回パッケージして、結果としてハイブリッドで独特な質感を引き出している。

事実、1988年当時はヴァイナルでもリリースされているしね(しかも曲順がCDとは異なった)。

そのサウンドを、改めてトラックダウンマスターからDSDリマスタしたのがこのSACDなのだけれども、今その状態で聴いてみると、実は相当な量の空気を含んだ録音になっているのだと、今さらになって気付かされたのだよね。

それはもちろんスタジオの空気感でもあるのだろうけれども、楽器と楽器の間に球体状に横たわる空気感、目に見えないが確実に音として存在するレンジ、音を発するもの全てが有している倍音のような空気が、ここまでたっぷりとパッケージされていたのかと驚かされるのです。

私は録音技術には明るくないけれども、楽器のブレスの間隙といった無のようなものを録音するのって、実は相当にとんでもないことなんじゃないかとは思うのだよね。この盤面に存在していた、明らかにされたのはそう言うことなのです。

もちろん小室哲哉と木根尚人による、このユニットに最も脂がのっていた時期のコンポジションにも注目したいし、それがあってこそ腕を見せまくっている演奏陣の、その素晴らしい仕事技もまた見ものだと思うのだよね。

中古市場で見かける度:まだステレオサウンドから新品の購入が可能

CAROL -A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991- / TM NETWORK

Night buzz / 高田みち子(2004 SICP10012 SONY)

このディスクこそが、自分にとっての無人島SACDじゃないかと。もしくは棺桶に入れて一緒に焼いて欲しい一枚。この作品をSACDで聴けなくなったら、私、どうなってしまうのかしら。

不思議な表現ではあるけれども、自分にとって何かしらが完璧な作品なのです。何がと問われても言葉に困るのだけれども。

SACDの音質的観点から観ていくと、声と楽器のフワッとした押し出しがリッチであることからしてまずヤバい。ボーカルの程よいリアルさ。それはオーディオファイルが求めがちな過剰なまでの生々しさとは異なり、奥ゆかしさを含んだ近さといえるかな。

楽器に関しては空気から現れ、そして空気へと溶けていく感覚が、心地よさの極み。

そう考えてみると、大袈裟であったり大雑把であったりといった世界から、まったくもって無縁な音楽がここにあるようにも思えてきた。

音楽的観点からすると、ジャズボーカルといえばジャズボーカルなのだけれども、必ずしもそのカテゴライズが正しいとは思ってはいません。ポップスのニュアンスを多分に含ませた、ジャズのようなもの、なのだと捉えますね。

間違いなくいえるのは、アルバムタイトルの通り、これは夜に流すべき音楽であるということ。あまねく個々の音楽には、各々が持つ時間との親和性を有した浸透圧が間違いなくあって、一番溶け込みやすい時間があると考えています。その点で、本作は夜以外には配置できないのですよ。

で、夜だから再生ボリュームを絞りますね?それでもなお、このSACDが持っている、SACDならではの質感は失われないのです。その点においてとても貴重な作品だと思えるのです。

中古市場で見かける度:相当珍しくなってしまった

Night buzz / 高田みち子

Tapestry / Carole King(1971/2013 Mobile Fidelity)

ポップスとしてのレジェンドであったりレガシーであったり、そのような、もう誰もが認める殿堂入りアルバム。何を今さらここで、と少し思ったのだけれども、この作品はSACDでなかったら、それほど再生回数を稼ぐことはなかったかもしれないと思ってピックアップ。今また聴いてみることにした。

当然のように後追いで聴き始めた作品なのだけれども、自分が聴くようになってからのCDの音源は、既に、そこで使われているマスターがよれてしまっていたのです。明らかなるテープの劣化。だもので、集中して音楽に入れ込めなかったのですよね。自分にとっても名盤たり得るということは分かっていたのですが。

そんなこんなで、MoFiが手がけた音源であるならばと一縷の望みを託して入手してみれば、もうこれが問題はないわ間違いはないわ。ようやく真っ当に、真面目な音源で楽しめるようになったのです。

それにしても、この緊張と解放とが正しく入り混じった作風は、どのように形容しながら改めて評すればよいのか。間違いないのは、どの曲においても、その曲に似合った風が吹いていること。

フォーキーな作風の楽曲もありますが、全体としてはとても都市型の音楽だと思ってます。だからこそ、そこに風が吹いていることは非常に重要であって。それが、この作品が持つ抜け感や風通しのよさといったものに繋がっているのは間違いないことですから。

2本足でしっかりと立っている作品、といった表現を好むことが多い私でありますが、本作はまさにそれで。背筋の伸びた女性がすっくと2本足で立っているな、と。その姿を支える楽曲そのものや演奏のクオリティが素晴らしすぎて、胸の中に熱いものがこみ上げてくることだってあるほど。

そういったものや世界を表現するにおいて、SACDというメディアからの出音にはストレスがないのですよ。誇張だって味付けだって必要最低限にとどめることができる。なくても問題ないくらい。それでいながら、表現力には十分なポテンシャルを持っているメディア。

だからこそ自分はSACDが好きなんだろうな。

中古市場で見かける度:たまに出てきますね

Tapestry / Carole King

CRIMSON / 中森明菜(1986/2012 WPCL11145 WARNER)

1986年時点での中森明菜の傑作オリジナルアルバムの一角に数えられていた作品。まさかまさかのシティ・ポップブームでの流れで、近年その界隈において再評価された、ある意味帰ってきた名盤。

帰ってきても来なくても、これは自分にとっての永遠の名盤。中森明菜の魅力に陰と陽があるのならば、こちらは陰サイドの風を持ったアルバムではないかと。中森明菜の看板であるロングトーンやビブラート、サビ絶唱系の曲は一つもなく。ただひらすらに都会の女性を歌った、一途な思いを持ったアルバムとでも言えばいいかな。

その一途なアルバムをSACDで聴く理由は、飽和した空気感を持ったアレンジが作品全体に横たわっているからなのです。中森明菜のボーカルが持つエア感とリバーヴ感。同様にトラックが持っている残響感が、このアルバムのカラーを決定づけているかのよう。ソフトフォーカス気味の音作りともいえるでしょうか。

ミスティでミステリーな雰囲気が、リラックスしたムードと相まって、この時代のアイドルの中では間違いなくこの人でしか作れなかった世界観を構築しているかのようで。無理です、後にも先にも、他のアイドルでこの世界を作り上げることは。先には、は言いすぎだとしても…後にはいない。うん、いない。いないったらいない。

一歩間違うと退屈なアルバムなのですよ。全体的にミドルテンポの曲しか収録されておらず、この1986年に中森明菜がヒットさせたシングル曲は、あの歌謡ロックの雄ともいえる「DESIRE」なのだから余計にそのギャップは激しく。

その落差を楽しむ上でも、このSACDというフォーマットはふさわしいと思うのです。アップテンポの楽曲が含まれたアルバムもSACDで所有していますが、パンチを取るなら正直なところPCMハイレゾの方が勝るポイントも多く。

適材適所を求めていくと、本作はこのSACDに軍配が上がるかな。

中古市場で見かける度:収録されているボックスセットは常に出回っているが、単体ではまず滅多に出てこない

CRIMSON / 中森明菜
Conclusion

いやー、聴いた聴いた。でも在庫に対しての話をするならば、全然聴けてない。

こうやって書いてみると、自分がSACDに求めている軸のようなものは案外大して存在しておらず、それぞれのアルバムからSACDというフィルタを通して何を見ているか、という観点に立っているような気がします。

ここが私がオーディオマニアになりきれなかったゆえんですな。オーディオももちろんあって欲しいものだけれども、それ以前にまずは音楽を欲しているのだね。で、それを楽しむためのフォーマット、そのバリエーションが広ければ広いほど、気分もアガるってもので。

でも、そうこう言いながら、この雨天の暇つぶし企画は徐々に「SACD沼にちょっと興味が出てきた方への誘惑の手招きめいている私が勝手に選ぶディスクたち」のような雰囲気になりましたね。でも「名盤ガイド」では決してない。私が好きなSACDアルバムを時間の許す限り片っ端から聴き直し、そのインプレッションを気ままに書き留めただけ。

楽しかった。しばらくぶりにクラシック音楽から離れて、こっち系にずっぽりとハマって聴いて書いた。

本日はこれにて終了!