音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

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LOVE ALL SERVE ALL / 藤井風 (2022 44.1/16)

昨晩は朝までSpotifyのガチャポッププレイリストを聴いておりました。

今、Spotifyが推したい、もしくは世間に推されているJ-POPを「ガチャポップ」と称してプレイリストで展開しているようなのだけれども、それを数時間聴いていると、意外と受け入れられている自分を発見いたしまして。

その数日前にはSpotifyで1億回再生を記録したJ-POP楽曲のプレイリストを聴いており、そこにある「受け入れられる曲、そうではない曲」を自分なりに判断していたのです。

ここ数年、いや、もしかすると10年ほどの間、時流に乗ったJ-POPをあまり聴いてこなかったこともあり、半ば浦島太郎状態でジャッジしていたのですが、総じてクリエイターの表現力の急速な高まりを実感出来る結果にはなっていたのです。

アルバム単位で聴くと胃もたれ胸焼けを起こしていたクリエイターの作品も、プレイリストと言う流れで単曲で聴いていると、案外と受容できるもので。発見も相当に多かったですね。

「J-POP ()」ともみなされていた時代はもうとうの昔であって、今はかつてのJ-POPという表現、文脈から脱却して捉えられているのだなとも感じられたのです。より一層の多様化とでも言いましょうか。

そのような楽曲群の中に当然の事のように存在した藤井風の楽曲もまた、自分にとっての再発見の対象となったのです。アルバムで聴くと自分の主観にある評価でのみジャッジしてしまっていたのですが、単体で切り出すと本当によく出来ている「聴かせる」ポップス。単純に「心地よい」と表現してもよいかもしれません。

それもあってアルバムで再度聴いてみたわけですが、確かに耳への当たりのよさと、身体にすんなりと入ってくるトラックメイキングなどが、「今の人」なのだなと感じさせられました。

何をもって今の人とするのかはまだ自分の中で整理できていないものがありますが、「計算し尽くされていない存在」と今のところは捉えています。それは「仕掛けられていない」と言い換えてもよいかもしれませんね。汚い言葉を使うならば「あざとさ」を感じさせないとも。スタンスが軽妙なのでしょうか。

ガチャポップの話に戻せば、そのあざとさを武器に立ち回っているクリエイターも存在し、それはそれで感心するものではありますが。

今後も引き続きガチャポップのプレイリストをチェックしていければよいのかもしれません。頭の中が凝り固まった老人のように腕を組んで構えて聴く必要などはなく、そこにあるものを自分の中に蓄積されたものとの対比として捉え、発見の上澄みをまた自分の中に取り込んでいければ音楽との付き合い方もまた変わっていく、さらに深くなっていくのではないかと思った次第なのです。

LOVE ALL SERVE ALL (初回盤)(2枚組)