「Don't Let Me Down」
原曲:JITTERIN'JINN 1990年発売シングル「にちようび」カップリング
カバー:UNLIMITS 2014年発売アルバム「アメジスト」収録
(音量差に注意)
仕事からの帰り道、何とはなしにUNLIMITSのアルバムを聴いて行こうと思い立ち、久しぶりにマイナーメロコアパンクを満喫しながら帰宅した。
数年ぶりに聴いたUNLIMITSは、案外と自分の中では整理された郷愁を持って迎え入れられた感がある。何せ自分の人生において最も辛い時期に聴いていた作品たち。聴けば気分がダウナーに引きずられるかとも思ったのだが、そのようなことには一切陥らなかった。むしろ嬉々としてそのメロディやリズムに身を委ねていたのが事実。
家に着く直前に流れてきたのは「Don't Let Me Down」。自分の中では言わずと知れたJITTERIN'JINNのカヴァー曲。夏が終わると同時に終焉を迎える恋の歌。小さく、悲しく、切ないラヴソング。
リリースされた当時から大好きだったこの曲。恋に恋する高校生が、その夢を味わうには十分過ぎるほどに耳にするりと入り込んでいた。
その高校生も今や50代。恋愛が幻想や苦痛を伴うものであると気が付いてから、もう既に相当な時間が経過してしまった。その点においては、通り過ぎた恋に恋する年齢になったとも言えるのだろうか。
夏の終わりの雨、朝焼け。そのような情景の中で恋を思うのはややセンチメンタルが過ぎるかのようにもとらえられるが、おそらくこの感覚は幾つになっても自分の中に残り続けるのだろう。
UNLIMITSによるカヴァーのそれは、よりゴシックな恋を描く。パンクロックをマナーにしているバンドによる演奏であることを差し引いても、線の細いセンチメンタルではなく、過去を引き剥がしかなぐり捨てる現実があるかのような失恋像が見えてくる。
楽曲を作った破矢ジンタが想定していたのは、実際のところいかなる失恋の姿だったのだろうか。もちろんオリジナルの姿が「実像」なのだろう。それでも作品である以上は時代の変化とともにその姿を捉える人の心が変わり、様式が変わり、ロジックも変わっていく。
UNLIMITSが解釈して提示したそれは、時代相応に新たに描き直された強い芯がある。それが現代という名を映した姿なのかもしれない。
果たしてその両者を愛する自分は、楽曲が持つ核にある恋には最早無縁となり、年相応に諸々とくたびれてきた事実がある。それでも先に記したように、自分の中の核にはセンチメンタルである自分を愛おしく思うそれが今でも横たわっている。
恋に恋していた高校生が描いていた失恋の姿と、センチメンタルを愛でることだけが残された50代が思う失恋の姿との間には、絶望的な乖離はあるのだろうか。いや、根底にあるのが自分自身である以上、そこには何かしら相通じるものがあるはずだ。
改めてこの二つを聴くことに専念してみる。するとここにあるギャップの中には成長の二文字が見えてきた。こんな小さな曲にも胚芽は眠っていた。そして時間を掛けて私のような者に愛され、知らずうちに水を与えられていた。UNLIMITSはその芽を出すことに成功した。すなわち楽曲が成長したのだと。
成長であればその前後は結ばれる。通じている。自分は一体の人間なのだ。あの時と今に乖離があろうとも、繋がっている事実は疑いようがない。軽い嘲笑が浮かぶ。楽曲一つで恋愛に対するセンチメンタルな感情が掘り起こされるのだ。いつまでもここには高校生時分の私がいる。
あれから35年。私は間違いなく私であって、今でもこうして楽曲に揺さぶられている。恋愛感情はどこかで失ってしまったが、センチメンタルな感情はいつまでも持ち続けている。そのことを思い出させてくれた楽曲にもう少し浸ることとする。