音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

自らの発信物についてこのところ考え、実行していたこと

4月からInstagram、Facebook、Twitterの順でアカウントをクローズないし削除し、はてなブログでは、はてなスターとコメント欄をクローズしました。

世間的には3月、自分にとっては2月からの閉塞的な日々、また、今後の自分の生活、もしくは社会環境と言ったものを見直すことが求められる日々において、「自分にとって発信することとは何を意味していたのだろうか」としばし考えておりました。

発信すると同時に受信を伴うこれらSNS関連での自分の行動が、果たして誰かの有為な受信物たり得るのか、また、自分として意味のある発信物なのであろうか、とつらつらと考えていたのであります。

発信の濫造は受信の乱れを招く。

その事に気がついた瞬間「SNSが自分に及ぼす力は、メリットよりもデメリットが勝る」と思うに至りました。

発信することが大好きな自分にとって、これら発信プラットフォームは諸刃の剣になっていたことに気がついたのです。

発信すればするほど、それらが自分へとリアクションと言う形で戻ってくる。もしくはノーリアクションと言う形で。

それらに向き合い、捌くことは、本当に自分のやりたい事なのか、自分の心と時間を割くべき程のものなのか、等々。

自分にとっての時間で最も割くべきものは、音楽を聴き、それを自分の言葉で咀嚼し、それを文章という形で提示する、そのような些末な独り遊びの時間なのです。

独り遊びである以上、その域を出ることは、自分の意に反することも多いことに気付かされました。

意に反することとは、ずばり「コミュニケーションを取る」ことであります。

自分の発信物には、マメなコミュニケーションは必要ないのです。自分はそれを求めてはいなかったはずなのです。

ところがSNSプラットフォームに乗ってしまい、そこでのコミュニケーションを求めることに時間と心を割いていた結果、自らの時間の無駄遣いと疲弊を招きました。

自分とは自分の箱庭の中でのみ完成される。

その本質に気付かされ、諸々のコミュニケーションツールのクローズ、削除を行うと言う結論に達しました。

コミュニケーションが本当に必要な方々とは、既に共有しているアカウントやプラットフォームがあるのです。開示もしています。それ以上のツールは、上述のことから、自分には必要のないものでした。

このご時世、日々の生活を送るという単純なことにおいても、色々なことに気付かされます。その「気付き」が正しいものである必要もあります。自分にとってのこれら気付きからの行為が正しいものであると確証している今現在があります。

これからはより一層、自分の箱庭での作業に磨きをかけるつもりでいます。その作業に自分の時間を専念させます。

本来であればこのようなことに文字を割いてまで説明をする必要はないのかもしれません。しかしこれも自分にとっての日常の記録物であるとみなし、記載することにしました。

と言うことで、私の発信源はこのブログという名の日記のみ、と言う形で今後は進んで行きます。