クラシック音楽の業の深いところは、同一楽曲で聴き比べが出来てしまう点にあるのだろう。
指揮者、録音年代、楽団、編成、エトセトラ。
それらの比較論で語ることは、経験を重ねた者からすれば、実に容易なことなのだろうと自分は常々考えている。
比較論を抜きにして、目の前にある音源、その世界に没入し、その音楽の深さに感じ入ることが、今の自分に最もふさわしい聴き方ではないかとも。
その段階を踏まえて、好みであるか否かを語るにおいては、それは是であると。
微に入り細を穿ち語ることも経験則においては容易かもしれないが、全体像を見失ってしまうのはどこか悲しいことではないかと。
それを指揮した、演奏した者への敬愛を払った上で、現われた音楽の素晴らしさを見出すことこそが、クラシック音楽を鑑賞する上での幸福感を得ることではなかろうかとも。
そのようなことを考えながら、このヴァントの指揮によるブルックナーを聴いていた。
このブルックナーに言葉を重ねる必要もない。ただただ美しい。滑るように音が紡がれ、そして耳に刻まれていく様を堪能するのみ。