念願叶ってようやくベザイデンホウトのベートーヴェンを聴くことが出来た。これまでリサーチを怠っていた自分が悪いのではあるが。
馥郁たる響きと艶やかさはピアノフォルテに譲ると思えるものの、このフォルテピアノによる軽快さと矢継ぎ早に音の的を射るかのような小気味よい演奏が、自分の目には実に魅力的に映る。
それはクラシック音楽における歴史的な俯瞰や発掘、発見を常に聴き手に求める窮屈さや、場合によっては聴く上での精神的な雑味が生まれることにも繋がりかねない要素では決してなく、そこで奏でられている表現と音そのものの潔さが、涼やかに耳に届くといった意味合いでの心地よさであふれているように思えてくるのだから、この演奏はベートーヴェンの凄みを一端に含み現したものであると言えよう。
このところの自分は、ある種の基本に立ち返ってなのか、ベートーヴェンの譜面が起こす演奏の一挙一動と積分が再び気になるようになってきており、それがために「音が見える」演奏のありがたみを覚える日々にある。
その意味においてもベザイデンホウトによるこの演奏が、雰囲気を楽しむ上でも、解析的に楽しむ上でも、「ベートーヴェンのサンプル」として十二分に機能してくれていることがありたくも感じられるのだ。音を目で追う上で歌える、思わず指が動いてしまう上でも歌える、心が次の音を望んで止まない点でも歌える、そのような音楽的有機、すなわち機能性に長けている演奏とでも言えばよいだろうか。
フライブルク・バロック管による演奏も芳醇、時にコミカルなまでにマッチョな響きをもってこれを飾り、盛り上げてくれる。
総じて、痛快なまでに元気の出るベートーヴェンがここにある。音楽は命の源であり、潤いでもあると常々捉えている自分のような人間にとって、現時点での最大瞬間風速ではあっても、完璧なフォルムを持った峰のような自然の建造物であり、人間がそこに大いなる意味を持たせた音楽だと断言出来る魅力にあふれている。
