例のボックスセット、エンコードしたものより再生。
半ばながら聴きだったのだけれども、「マーラーってやっぱり難しいのかね」などと思ったり思わなかったり。
マーラーを専門的に得意とする指揮者であったり、そこに率いられるオーケストラであったりの方が、実はマーラーが生き生きとしてくるように思えたのだよね。
もちろん、このアバドとベルリン・フィルとの組み合わせが悪いというわけではなく、ただ、端正であることに落ち着いているような気がしてしまったのでね。
まだまだクラシックは学習中です。この終わることがあり得ない学習の種を見つけてしまったことは、人生にとっての朗報だと思うのだよね。しみじみとね。