これも手元から音源が散逸していたので再接収。
改めて聴き直してみると、なんと音の見通しのよいことか。
当時のリマスタなので、音圧を極端にいじることもなく、構成されている音の一つ一つがはっきりと分かるようになっている。いかに現代の最新リマスタが、小音量再生向けの音圧マシマシになっているか、それによって音の粒が潰されてしまっているかがよく分かる結果に。
今日は小室哲哉の全盛期、その最右翼、TRFとglobeを聴いたわけだけれども、いやはやしっかりと演奏されているし打ち込まれているし、それを全て受け止めるかのごとく録音がされていることを、痛いほど感じさせられた半日でありました。
今頃になって、いや、今だから気が付くことというのは本当に多々あって、過去の音源として使い捨てることが出来ない理由はそこにもあるのだと再認識。だからこそ、自分の中では音楽がなかなか「懐メロ」と化さないのだよね。