またシベリウスに戻ってまいりました。またしても60年代の録音によるシベリウス。それも第4番。相当に自分もキてますね。
先ほど聴いたバルビローリのアーティクルで書いたことを再確認しているかのような状態ですよ。
加えて、録音や演奏が古いからと言って、今聴ける音までがそうであるとは限らないこともまた再確認している次第。
以前、この組み合わせのシベリウスでも書いたことだけれども、とにかくシャープ。低域が足りないという意味ではなく、音楽としてシャープなのです。ソリッドやストイックやらと言った表現でもあながちズレてはいないと思われる。
そう言った演奏を求めた時代なのかもしれません。確かにオーケストラがどんどんマッチョになっていったのは80年代あたりだと聞いたことがあります。事実はいかがなものなのでしょうか。
シベリウスにマッチョは似合わないぜ。
それはともかく、この深さはシベリウスならでは。
人工的な建造物を見つめるのであればブルックナー。人間的な思索劇を求めるのであればマーラー。そして自然界に身を投げ出してその中の一部となるのであればシベリウス。
みなベクトルが違うから面白い。