音波の薄皮

その日に聴いた音楽をメモするだけの非実用的な日記

シベリウス:交響曲第7番 / ベルグルンド, ヨーロッパ室内管弦楽団 (1995/2012 CD-DA)

人が人として死を迎える様とは如何様なものであるか。そのようなことを漠然と考える機会が増えてきた。

幸いなことに私の両親は共に健在であるが、既に老人の域には入っている。その人生は決して楽なものではなかったろうに、今は働きながらの老後、まさに今風な生活を楽しんでいるようにも見える。しかしそう遠くない先に、それぞれの人生の終焉が待ち受けている。

シベリウスの7番は人生の素晴らしい終焉なるものを、理想郷のように描いている作品であるように感じられる。

シベリウスは決して明るいタッチの作曲家ではないと、常々考えながら聴いている。自然文化的作風であるとも。そこには人類の存在よりも精霊信仰にも似た考えが宿っているようにも感じられる。

だが、この7番はどうだろうか。シベリウス最後の交響曲においては、世界は現実であると歌われているようにも捉えられる。他の交響曲とは異なり、それぞれの音が明快に描き出されているからかもしれない。画が鮮明なのだ。

それでいて彼の交響曲に共通する精霊信仰的世界も失われてはいない。人の手が加わった、人の手を借りて、世界が構築されている。人もまた世界の一員であると受け入れられたかのような。

まだそう長いとも言えないこの自分の人生において、世界に受け入れられないままに旅立ってしまった人を何人か見送ってきた。その死はおそらく亡くなった本人にとっても不幸であろうし、周囲にいたはずの人にも負なるものを招く。

そう考えるならば、人が世界に受け入れられてからの死は、おそらく幸せなことなのだろう。理想郷への旅が死であるならば、シベリウスはそれを黙示的にここに描いたのかもしれない。