ロト指揮、ケルン・ギュルツェニッヒ管弦楽団による、2017年、最新型のマーラー交響曲第5番。
ここにあるのは往年の歴史開闢的な圧倒的牽引力、そして推進力によるマーラーでは決してない。一方で「軽やか」や「滑らか」と一言で簡単に片付けることも出来ないが、軽薄なわけでももちろんない。
でもこれは正にマーラーの第5番。
全体的に施された美しさまでをも感じさせる、大らかさを兼ね備えた「流れ」が横たわっており、そのことが、この作品の演奏にしては大胆な繊細さと音符の間に潜む沈黙を、聴き手である私に思い描かせる。演奏の上澄みが、純粋に一切の淀みなく伝わってくるかのよう。
もちろん清濁併せ呑み「塗り固めた」マーラーもマーラーであり、この演奏のうちに垣間見られる付加価値の高いマーラーもそれなのであろう。20世紀にスタートしたマーラーのこの作品の演奏の歴史は短期間に成熟され、そして21世紀の今、早くも次の局面に入っているかのようにも感じられる。
この作品の中にあるドラマティックな暗から明への逆転劇を歌うにあたって、その落差を豪胆に爆発力をもって描く必要性が時代の解釈とともに薄れ、先に述べた上澄みと沈殿とを二律背反的に描く演奏に専念、特化したとも言える手法が現れてきたのだろう。
膾炙したクラシック音楽作品の中ではまだまだ日の浅いこの作品において、方向性が異なる解釈が次々に現れては席巻、交代しているのは、実はその演奏の自由度が高いことを今に証明し始めていることを意味しているのかもしれない。
その自由度の高さは、聴き手にも徐々に伝わっていくのだろう。作品に対する固定観念を持ってしまうのは、実は演奏側ではなく聴き手側であったりもするのだから。